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人の…男性の形はしていた。でも、とても人間とは思えぬ美しさを持っていた。
真夜中の空の闇色に碧い薔薇(見たことないけれど)の滴を落としたような不思議な黒色をした髪は、月並みだけど絹糸のように美しいし。肌は月の光を吸ったように白いし。閉じられた目のまつげも胸の上で組まれた手の爪も形も、纏う夜空色のマントや片方の目にだけ引っかかっているモノクルまでも、恐ろしく完璧だった。
こんなきれいな生き物がいるとは、思えなかった。
そして。
棺の中で、手を組んで眠るような形をしている彼は、なぜか青いリボンが幾重かに巻きつけてあった。ちょうど、手の辺りで結んである。
恐る恐る指先を伸ばして、その胸の腕組まれた手に触れてみる。そこに人形の持つ硬質さはなかった。
死体、でも、ない?
もう一度、彼の顔の方に視線を向ける。
その顔は、十代後半にも二十代にも三十代にも見える。
これは一体どうしたら…警察を呼ぶ?
そんなことを考えながら。それでも彼女はそこから動けなかった。
そして、何も考えずに。
特に意識したわけでもなく、ごく自然に。
その、彼の手元で結んであったリボンを、ほどいた。
瞬間。
ものすごい風が吹き抜けたような気がした。
氷辻はぎょっと二、三歩あとずさり、腕で顔を覆った。
そして。
腕を下ろした時には、彼は起き上がっていた。
恐怖はなかった。
ただ、驚いて。どうしていいかわからなくて。
ただ、彼を見つめて。というより、目を奪われていた。
まるでここにある、月明かりを誇らしげに受ける薔薇たちのように神々しかった。
彼がゆっくりこちらを向く。
視線を向けられただけで落ち着かず、いたたまれなくなる。
「君が」
「え、」
「封印を?」
「封印?」
ただ短く言葉を返す。
と、
ふいに奇妙な気配がした。
そう、奇妙としか言いようがない。
良くない風が後ろから吹いて来た気がした。
氷辻はとっさに振り返る。その背中を、
「そうか、君には素質があるんだね」
という声が追いかけた。
しかし氷辻はそれどころではなかった。
ワルイモノが、来る。そんな直感。ようやく沸く、恐怖。
「だけど」
ふいに、後ろから抱きすくめられぎょっとする。
「今はまだ無理」
黒いマントが体を包む。一瞬何が起きたのかとパニックに陥るが、その彼女が先ほど来た通路から何かが来た。
何か。氷辻がそれに名前をつけるなら「幽霊」としかつけられない、赤い女。顔を血で汚して、うつろな目をし、真っ赤な服を身に纏っている。そして何故か両腕に鎖が巻き付いている。
その異形に、氷辻は言葉もない。その代わりのように、頭上から落ち着いた声が降ってくる。
「彼女は封印を解いた者を襲う」
「な、なぜ?」
「僕が従属種にしなかったから、かな」
言っているうちに、赤い女はすぐ目の前にたどり着いた。
瞬間、彼は片腕で氷辻を抱えたままもう片方の腕を振るった。まるで輪舞曲のような流麗な動き。そして、それに触れた赤い女は恐ろしい叫び声を上げて、消えた。
「でも弱い」
あっさり言って、小さく笑うような気配が降ってきた。
「ああ、久しぶりの月下だな。気持ちがいい」
「あの、」
夜空を見上げている彼に、氷辻は声をかける。
「ん?」
「は、離して、くださいっ」
「ああ、ごめん」
腕が緩むと、氷辻はぱたぱたと数歩離れて、彼と向き合った。軽く見上げる程に、背が高い。
「な、」
「な?」
「なんなんですか、一体っ!?」
言いながら、何から疑問に思っていいのかわからなかった。先ほどまで眠ったようにしていた彼。赤い女。そして今の現象。猫。
「何が起こって…わたし、何か間違ってしまっていますかっ。やらなくていいことしてますっ!?」
混乱したまま、混乱をそのまま言葉にする。
ずっと平穏を、望んでいたような気がする。
いや、違う。平穏が続くのだと諦めていたのだ。
なのに。いや、だから?
「僕としては、間違っていないのだけど。むしろありがたい」
そう言って、彼女を見て微笑む。氷辻はおろおろと目をそらす。彼は少し考えるしぐさをしたが、やがて言った。
「お礼をしないと」
「はい?」
それはひどく唐突な言葉に聞こえた。氷辻はまだ混乱したままなのに、彼は彼のペースで話を進めていく。
「僕に出来ることなら、なんでもしよう」
「え、お礼って?」
「封印を解いてくれた、お礼」
「封印って、というか、なんなんですか貴方は。その…」
人間では、ない。明らかに。
でも、先ほどの赤い女のように恐怖は感じない。
「ヴァンパイア」
「はい?」
「いや、吸血鬼、とこの国では言うのか」
「いえ、わかりますけど。その、」
ヴァンパイア。吸血鬼。
言葉の意味は理解できる。出来るのだが…。
封印されていたヴァンパイア。なにそのファンタジー。いや、ホラーか。どちらにせよ、そんなのは現実離れしている。
しかし。ならば、どんな説明が納得いくのだろう。
氷辻は自分に問うてみた。
どこかから入り込んだこの男が、ここの棺で寝ていた。…そんなわけない。それを信じるくらいなら…くらいなら?
「あの、お礼って」
おずおずとその言葉を口にしてみる。自分で言ってみると、そう現実離れした話題の展開でもないような気がした。
「ああ、僕に出来ることなら。でも、あまり時間はかからない方がいいな。長いこと家を留守にしてしまっているから、戻らないと」
「…さっきみたいなの、わたしにも出来るようになりますか」
彼の言葉を最後まで聞かず、氷辻は問う。
「さっきみたいなの?」
「お化けみたいのを、退治、しました」
「ああ。……あれとまったく同じことをできるようになるのは、無理、かな。でも何故、あんなことを?」
「…わたし、」
その瞬間まで、彼女は自分が何を望んでいるのかわかってなかった。というよりも知らなかった。むしろ、自分は何かを望んだりはしていないのだと思っていた。
思っていたのだが。
「わたし、強くなりたいです」
それを口にして、全てが腑に落ちた。
ずっと平坦な日々が続いていくのだと思っていた。そう諦めていた。
諦めていた、ということは。平坦な日々など望んでいなかったということだ。
変わりたかった。
でも、そうするための気持ちが付いていかない。
そうすることでいつか傷つくのを恐れている。
変わりたい。
でも、変化は怖い。
だから。
それに耐えうるだけの、強さがほしい。
「強く?」
彼が繰り返す。氷辻はうなづいた。
「いろんなものをを恐れずにいるだけの…力が、欲しいです」
言ってから、はっと我に返る。 自分の中の自分と会話をしていたかのように、何も考えずに言葉を口に乗せてしまった。
「ごめんなさい、そんなこと言われても困りますねっ」
ぱたぱたと手を振って取り繕って、「えっと、」と続く言葉を考えながら視線を下に落とす。
「君の言うものと同じかどうかはわからないけれど、力を与えることは出来るよ」
ふいに彼は言った。氷辻は視線を上げる。
彼とまともに視線が合い、少しひるむ。どういうわけか、彼と目を合わせることがどうしようもなく落ち着かない。
「与える、というより、目覚めさせる、かな。君には素質があるから」
「素質?」
「能力者としての、素質」
「能力者?」
言われていることの意味がいちいちわからなくて、氷辻は繰り返す。少し首を傾げて不思議そうに見つめ返す彼女の様子がおかしいのか、彼は小さく笑う。笑われた氷辻は困ったようにうつむく。
「まったく同じではないけれど、先ほどと同じようなことができるようになる、ということだよ」
言われて、再び彼女は少しだけ顔を上げた。
「ただし、おそらく今までの平穏を捨てることになる」
平穏を、捨てる。
……ただ、穏やかに流れていく日々。
傷つくことも、傷つけることも恐れて。深く人と関わることもなく。
守りたいものも欲しいものないまま。
本当はあっても、それを壊されてしまったり、手に入らなかったりすることを恐れたまま。
「……そうしたら、わたし、」
氷辻はまっすぐに彼を見つめた。
「強くなれますか?」
その視線を受けて、彼は静かに言った。
「その崇高な魂に見合うくらいには」
「…崇高では、ないですよ」
その言葉に驚いたように小さく首を振る。
ずっと、逃げてばかり。何かのために働きかけようとしたことなどなかった。
「守りたいものを作っても、守ると決めても、いつかその想いも自分の弱さに裏切られるのではないかと、ずっと怯えているんです。だから、変わろうとすることも、ずっと出来なかったし」
今まで、思い出すまいと思っても何度も思い出しては、暗い気持ちで夜を超えて来た、悪魔のささやきと、田川李亜のこと。あれを乗り越えたいと思っても、早い段階で自分に絶望してしまった氷辻には、それを克服できるなどと、そんなふうには自分のことを評価はできない。
やさしく強い人間になれるなどとは、とても思えない。
「自分の弱さとずっと向き合ってきたということは、誇るべきことだと思うよ」
暗い気持ちで過去を見つめる氷辻にやさしい声が告げた。
「だから、分岐点が来たなら選べばいい。そのまま弱さと対峙するか、立ち向かうのか。どちらを選んでも、恥ずべきことではない」
目をそらさない氷辻を見つめたまま。変わらぬやさしい表情のまま、彼は続けた。
「戦い続けているということには、変わりはないのだから」
彼の言葉は不思議なほど、彼女の心に入り込んできた。 ごく自然に。すんなりと。
自然なままに、心に染み込み、理解をした。
今まで、思いもしなかったことなのに。
「……そんな風に、思ったことなかった」
「真面目なんだな」
「ずっと、弱いだけの人間だと、思ってました」
「そんなわけない。ここまで来て、僕を助けてくれた」
何かが胸に満ちてくる。暖かい、何か。
初めて体に血が通っていることを意識した気がする。
その体のどこかに、心があることも。
「……力を得る、というのは、ヴァンパイアになるってことですか?」
「まあ、そういうことだね。でも、人間と同じように生活できるよ。ただ、恐らく先ほどのようなゴーストと戦う場面が多くなる」
「それでも」
平穏が遠ざかる。
……望むところだ。
「わたし、力が欲しいです」
氷辻は言った。
「くれますか?」
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