[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
(…また長めになっています…)
猫はぎりぎり追いつけないくらいの速さで走り、その洋館の傾きかけている勝手口からするりと中に入った。一瞬、氷辻は足を止めたが、思いきって自分も追いかける。 建てつけの悪そうな扉はギイギイと音をたて、中に入ると、細い隙間を残して勝手に閉まった。
「…ファンタジーなら冒険が始まるところだけど、ホラーなら出られなくなる展開よね」
不安をかき消すように自分につぶやいてみる。そして、自分を待ってこちらを振り返っている猫に目を向け、にらみつけた。
「ついて行くわよ。それでいいんでしょう。ケーキの恩、仇で返さないでね」
猫は一声鳴くと、暗い廊下を歩き出す。床がぎしぎしと軋み、氷辻はおそるおそる足を進めた。短い廊下はすぐ突き当り、左右には廊下がのび、正面には扉があった。その前で猫が鳴く。
「開けるの?」
再び猫が鳴く。
氷辻は扉に手をかけた。鍵はかかっていなかったので、扉は少しきしんだものの、押し開くことができた。
そこは、中庭らしい。
外側からは分からなかったが、どうやら洋館の中心には庭があったようだ。
しかし、中庭と言っても、目の前のそこは鳥籠のような柵で中庭全体を、上の方まで覆っていた。巨大な鳥籠が、すっぽりと中庭を内包しているような感じだ。なので、その中に入って行くのは不可能のように思えた。出入口らしきものがあるものの、そこに手をかけると、今度こそ鍵が掛かっている。
しかし鍵を確認しつつも、氷辻は別の方向に目を奪われていた。正面の奥にちらりと見えるもの。
「…薔薇が、」
…咲いている。
鬱蒼と茂るよくわからない木や草に隠れて、薔薇が咲いているのがちらと見えた。そのそばにはもっと咲いているのかもしれない。手入れの難しい植物なのに、そんな風に勝手に咲き狂うことなどあるだろうか。
と、足もとで猫が鳴いた。なにか、土を掘っていたようだ。
「なに」
暗くてよく見えない足もとにかがみ込んで、そこを見ると、
猫が掘り返したそこに、土にまみれた鍵があった。
「…………開けるのね」
当然。というように猫が鳴く。氷辻は鍵を手に取った。
ふいに、こんなところまでなんの躊躇もせず来てしまったことを不安に思い出した。もし、何かあっても、誰にも見つけてもらえないかもしれない。
何か……たとえば、死の、危険性。
あんなにも恐れていた死が、訪れるかもしれない。
拾い上げた鍵の土を払い、氷辻はこのまま引き返そうかと一瞬考え、開け放たれたままにしていあるドアから、暗い廊下を見つめた。
だけど。
それから目をはずして空を見上げる。ぼんやりとした月が、そこを照らしている。
その光を受けて、うっすらと光る薔薇。
薔薇は好きだ。あの、ほんの短い間の華やかさ。崇高な気持ちにさせる佇まい。ゆっくりと朽ちていき、最後のみすぼらしい姿まで含めて、好きだった。
月明かりに照らされた薔薇は、とても優しい雰囲気をかもし出して。そこには、なんら不吉な物も感じなかった。
「……まあ、」
氷辻はつぶやく。
「…猫にくらい、最後まで付き合うわよ」
ひとつ、深呼吸をする。そして、鍵を差し入れた。かちりという手ごたえ。
扉を開け、中に足を踏み入れる。
そこには、草や木がでたらめに生えていた。長いこと放っておかれたのだろう。そこに規則性はない。どう考えても、ここに入ってきた人間の行く手を阻んでいるようにしか見えないような、そんな鬱蒼とした小さな森だった。
小さい体の猫はそんなことおかまいなしというように、木々の隙間をひょいひょいと抜けていく。氷辻も溜息をついて、木や草をかきわけてそれにつづいた。少し進むと、薔薇の蔓が行く手を阻んでいる。猫はその隙間から奥へ進んだが…。
「…まさかこれをわたしに掻き分けろって言うんじゃないでしょうねっ」
その奥から猫が鳴く声が聞こえた。
氷辻は再び息をつく。荊の蔓は、完全に通路を覆っているわけではないので、なんとか手で払って先に進めなくはないだろう。鞄の中からハンカチを出して手に巻くと、出来るだけ自分の身体を傷つけないように、洋服越しの腕を使ったりして荊を掻き分けた。それは、いくらか彼女の顔や露出した手や足を傷つけたが、もう気にしないことにした。
何が自分をそこまでさせていたのかわからない。
ほんの短い距離だったが、何メートルも歩いたかのような労力でもって、ようやく少し開けた場所に足を踏み入れることができた。
「え……」
氷辻は顔を上げて、驚いて目を見開いた。
そこには、先ほどちらりとだけ見えたものの他に、たくさんの薔薇が咲き乱れていた。
「うそ」
明らかに、人が簡単に踏み入って来れる場所ではないのに。薔薇は見事に咲き誇っている。主に赤と白。時々違う色の薔薇…紫や黄色やオレンジやピンクも見えた。
月明かりに照らされてそれらは、まるで微笑んでいるように感じられる。
彼女を迎え出るように。
「あ、あれ」
しばらくの間薔薇に目を奪われていたが、何かに躓いて視線を落とした。そこには、あの猫が持っていった財布が落ちていた。そういえば、と猫がいないことに気づく。
「あれ、ネコバックー?」
勝手につけた名前を呼びながら、その狭い空間を見回し、
…それを見つけた。
薔薇に守られるように横たわっている艶のある黒の大きな箱は、どう贔屓目に見ても、
西洋風の棺おけだった。
そっと近づいてみる。
成人が入れそうな大きさ。まるで何年も前から変わらず置いてあるような存在感があったが、つやつやと光沢のある黒色に傷もついていないように見える。
しばらく氷辻はそれを見下ろしていた。
中に、何か入っている? というか、人…死体が?
蓋に力をこめれば開きそうな気がする。でも、それをして良いのだろうか。
「……ホラーなら、明らかに第一の被害者だと思う…」
軽く空を仰いでそう声に出してつぶやいてみるものの。
…全然怖い気はしなかった。
きっとあの猫は、これを開けさせるためにわたしをここに連れて来たのだろう。あの猫にしたって、まあ、ちょっと生意気そうでむかっとくることはあったけれど、不吉な感じはしなかった、し。
……開け、ようか。
心の中でつぶやく。
とたん、心臓がどきどきいっているのがわかった。
ああ、わたしはどうしてしまったんだろう。いつものわたしなら、そもそもこんなところまで来ない。…そうだ、お財布。あれがないと困るから。だからここまで猫を追って来た。でも、もう帰らないと。お母さんが心配する。こんなところで道草食っている場合ではないし。そもそも状況は危険かも、しれない。
でも、
軽く空見上げると、鳥籠の天井のような格子が見えた。細い鉄が芸術的な複雑さでもって絡み合っていた。そしてその向こうに青白い月。月が淡く照らし出す薔薇は、甘い香りをこぼし続ける。
なんて素晴らしいお膳立て。
これで何も起こらないなんて、おかしい。こんなにきれいな夜なのに。
そんなふうに考えて、小さく笑う。
氷辻は小さく深呼吸をすると、棺に手をかけた。
蓋は意外と重い。
何度も力を入れて押しながら、でも中身がミイラとかだったら嫌だなと思った。いや、期待しないでいないと。あまり何かを期待していると、それをはずした時に失望する。
ああ、そうか。だから。
彼女はこれまでを振り返る。
もう失望したくないから。昔、自分に失望したみたいに。
だから期待も希望もしない。何も欲しがらない。
誰かを傷つけるのを怖がっているのだって、結局自分が傷つくのが怖いからだ。そういう自分にうんざりするのが嫌だから。
あの日から、まったく動けなくなってしまった自分。それに苛立ちを感じながらも、なす術はなく。
きっと変わらない。
いつも見上げる空みたいに。平穏で平坦に続いていくのだ。
だけど。
ふっと気づくと、いつの間にかふたは端まで押しやられていた。ごとんと音を立てて向こう側に落ちる。
そこで初めて氷辻は棺の中を覗き込んだ。
中にいたのはミイラ。
…ではなかった。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |