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氷辻は小学校を卒業すると、無事に希望通りの私立の中学校に入った。
そこでは、相変わらずの対人関係を構築していった。つまり、対人関係を作っていないということだ。
それでも、小学校の頃に比べれば、周囲は他の人間に対していくらか無関心になった気がする。氷辻にはそれがありがたかった。
そういえば、野間が同じ学校に入学していた。一度だけ、廊下で目があって会釈をするだけの挨拶をした。
それだけ。それ以上親しくはならない。
色々と、思い出してしまうから……。
日々は、緩やかに穏やかに過ぎていく。
何も特別なことは起こらず、変化もない。
このまま、時が過ぎていくだろうか。
氷辻は教室の窓際の席からぼんやりと空を見上げた。
青い空。昨日と変わらない、同じ色。
このままこうして。
穏やかといえば聞こえがいいけれど。それは自分が変化を恐れて、息を殺してびくびくと隠れているだけだ。
ずっとこのままの日々が続くのだろうか。
変化のない日々。
それが、自分の望むところなのだろうか。
* * *
中学生になって塾を変えた。
前に比べたら近所の、自転車や徒歩で通える所。補習を受けたりで遅くなる時は親が迎えに来たが、基本的には自分の足で通っている。
勉強をしているのは、なんとなく安心できた。
自分にも出来るものがあると思えるところが。そしてそれによって、将来を定めることができるところが。
勉強をしていれば、安定が手に入ると信じられた。
平穏で、
……平坦な安定が。
そんな塾の帰り道。
あたりは既に夜の闇が降り、藍の闇の中に、満月に近づく楕円の月が白くぼんやりと輝いていた。
途中に、古い家があった。殆ど朽ちかけている、洋館風の家という感じだろうか。時々近所の子どもがお化け屋敷と言っては、何度も入りこみ、その度にその出入口を堅くふさがれている。門にもきつく鎖が巻かれていた。
いつまでこうしておくのかしら。
通るたびにそれを見上げて思った。解体するにも、お金がかかるから放置してあるのだろうか。
いつものようにその放置を不思議に思いながら見上げ、家の前を通り過ぎようとした時、
ふいに、何かに呼ばれた気がして、立ち止まった。
「?」
あたりを見まわしても、誰もいない。
気のせい、よね。
そう考え、再び歩きだそうとしたとき。
いつの間にか足もとに猫がすり寄っていた。がりがりに痩せているわりに、毛並みは良い。光の加減か黒猫なのに深い青色の猫に見えた。
「む。なに」
猫は氷辻を見上げて鳴く。何度も。
「お腹でも空いてるの? 野良の癖に人懐っこいって」
氷辻はもう一度あたりを見まわし、人目がないのを確認すると、しゃがみこんで鞄の中を探る。おやつに食べようと持ち歩いていた、自作のパウンドケーキが何切れか残っている。
それを取り出し、包んであるビニールをむいて、ケーキをいくつかにちぎると地面に置いた。
「食べてもいいわよ」
その言葉を待っていたように、猫はがつがつとケーキを食らいつく。
自分の膝に頬杖つきながら、氷辻はそれを見下ろしていた。
…猫には関われるのよね。猫にはやさしくできる。
内心つぶやき、溜息をついてから立ち上がった。
「じゃあね」
律儀に猫に挨拶し、そのまま家路につこうとした。と、
歩きだそうとした足もとに猫がまとわりついた。ぎょっとして、体勢を立て直そうとしたが、足がもつれてバランスを崩す。なんとか転ばずには済んだものの、鞄を落してしまった。口が開いて、中身がいくつかこぼれる。
「なんなのよ」
眉をひそめてちいさく悪態をき、鞄を拾い落ちたものを集めようとする。それより早く猫は落ちた物の中から財布を選んでくわえると、そのままどこかに行こうとする。
「ちょっとっ」
他のものをかきあつめ、鞄に放り込み、猫を追った。
猫は洋館の柵の隙間から庭に入りこむ。そして立ち止まり、こちらを振り返った。まるで彼女の動向を確認するかのように。
「あ、あのね」
柵を掴んで、その向こうの猫をにらみつけた。
「返して」
そっと声をかけるが、猫はまるでその声を理解しているかのようにぷいっとむこうを向いた。 そのしぐさに。
「ううっ、腹が立つ…」
氷辻のつぶやきを無視して、猫は柵ごしに庭の中を歩き出した。それにつられるように氷辻も柵のこちら側を歩く。歩きながら、無駄だと思いつつも猫に声をかけつづける。
「返してよ」
「…………」
「そんなのあなたが持っていたって仕方がないでしょう」
「…………」
「ケーキもっとあげるからっ」
「…………」
「…言うこときかないと、捕まえたら内臓抜いて、ネコバッグにするわよ」
「っ!」
一瞬、猫がびくりとしたのは気のせいだろうか。と、
柵が途切れた。裏口のような出入口になっている場所で、もちろん鎖がかかり開かないようになっている。が、他の柵よりは、低い。
…これを乗り越える、しかないか。
持って行かれたのが他のものならいざ知らず。財布には今の氷辻の全財産が入っている。明日、紅茶を買いに行こうと思っていたのだ。
あたりを見まわす。人影はない。
氷辻は鞄を柵の間から中に押しこむと、上方に手をかけて、下の方に足をかける。スカートを踏まないように気をつけながら、腕で支えて自分の身体を持上げる。柵の上に登ると、よいしょと庭の中へ飛び降りた。
ふう、と息をついてから、今乗り越えた柵を振り返る。
「……出るときも同じことを…」
と思うとうんざりした。その気持ちのまま、猫に胡乱な目を向ける。猫は氷辻がこちら側に降りるまでじっと待っていたが、目があうと踵を返す。
「待ちなさい、ネコバック」
氷辻は猫を追いかけた。猫はぎりぎり追いつかないくらいの速さで走り、洋館の傾きかけている勝手口からするりと中に入った。一瞬、氷辻は足を止めたが、思いきって自分も追いかけて中に入った。
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