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陽だまり幻想 3 -現在-
夢から、覚める。
誰かが、声をかけていた。
誰かが、肩をゆすっていた。
華呼はうっすらと目を開けた。
目に入る、誰か。同じ年頃の男の子。
でも、わたしは同じ年頃の男の子は、一人しか知らない。
「烏兎沼」
彼が声をかけた。
ウトヌマって、なんだったっけ。
思い出せないまま華呼は彼ににっこりと笑いかける。昔、どこかに置いて来てしまった、混じりけのない笑み。
「お姉ちゃんでしょう、ラン」
…ランって、誰?
瞬間、完全に目が覚めた。
目が覚めた…ということは、寝ていたのだ。というよりむしろ…寝ぼけていた、が正しい。
「ごめんっ」
がばっと華呼は身を起こした。
「何か変なこと言いましたっ。というか、寝てましたっ」
というか寝ぼけてましたー…。
小声で言って、そこにいる彼を見上げる。まだ知り合って日は浅いが、思い出せないような間柄ではない。そこには、最近華呼が入った結社に所属している霜月蒼刃が、少し不思議そうに彼女を見下ろしていた。
ああ、もう信じられない…。
華呼は恥ずかしそうに両手で頬を押さえる。
キャンパスは違うが同学年の彼と、授業の情報交換をしようと図書館で待ち合わせをしたのだ。約束の時間より早く着いてしまったため、ふと目に付いた本を窓際の机で読んでいて…眠ってしまったようだ。あまりに、陽射しが温かくて。
いつかの陽射しのように、柔らかく、優しくて。
その「いつか」がいつなのかは、分からないけれど。
華呼は両頬を両手で包んだまま、微かにうつむいて言った。
「本当、ごめんなさい…」
申し訳ない、というよりも恥ずかしいという思いの方が強い。
「いや」
彼は、くすりと笑いつつ向かいの椅子に座りながら言った。
「ここ、気持ち良さそうだもんな」
「…本当に。致命的なまでに…」
華呼は窓の方に目を向ける。
なんて心地よい、オレンジ色の陽射し。優しい夢を見せるには、充分な資質を持っている。
「ランって…妹さんか弟さん?」
ぼんやりと外を眺め続ける華呼に、蒼刃が声をかける。そうして、華呼はようやく思考が覚醒してきた。…ラン?
「さっき、そう呼んでいた」
「…あの、さっきのことは、出来るだけ速やかに忘れてください…」
言ってから、首を小さく傾げる。
ラン。
「さあ…誰でしょう…」
自分で口にしておきながら首を傾げる。どこから出てきた名前なのだろう。名前の響きからして…妹か。
「……妹……『妹』かなぁ…」
華呼はやれやれと頭をおさえる。『妹』か。それはあんまり楽しい存在ではない。
でも、それにしては温かな夢だったような気がする。それが『妹』だというのなら、この陽だまりのイメージはあまりにふさわしくない気がした。
存在するはずのない妹。おぼろげな記憶。
……むかし…むかしの…。
「小さい頃の記憶って、どれくらいありますか?」
ふいに、華呼は口にする。先ほどわけのわからない醜態を見せてしまったせいか、なんとなく気負いなく、思い浮かんだことを口にしてしまう。
唐突な問いに訝ることなく、蒼刃は答えてくれた。
「そうだなぁ。俺は結構残ってる方だと思う」
「そう、ですか…」
華呼はほとんどない。
兄と血が繋がっていないことは知っている。つまり、自分には烏兎沼「以前」があるはずなのだ。なのに、その一切が記憶にない。
物心つく前に烏兎沼に来た、という可能性もあるが。それにしては、中途半端に色んな想いが自分の中に残っている気がした。
たとえば『妹』。
蒼刃は笑う。どこか自嘲気味に。
「必死で幼い頃の思い出にしがみついていただけかもしれないけど」
「あ、ごめんなさい。嫌なこと、訊きました」
「いや」
彼の穏やかな笑みに促されるように、華呼は言った。
「わたしはほとんど忘れてしまっていて…すごく大事なことも、全部忘れてしまっているみたいなんですよね」
陽射しを受け取って温まった手のひらに目を落とす。
形にならない温かな記憶。おぼろげ過ぎて、本当にあったかどうかもわからない。曖昧な想い。
陽だまりの記憶。
それは、そんなことがあったような気がする、くらいの想いしかない。
幻かもしれない時間。昔、誰かが自分を必要としてくれたという、そんな時代。
「烏兎沼」という鎖につながれてからは、必要のなかった温もり。
だから、
「…過去に、そういうの全部置いて来てしまったんじゃないかなって」
多分、その時わたしは取り返しのつかない何かをしてしまったのだろう。
だから、いつまでも不安定なのかもしれない。
「…そっか。俺も、一番大事なことはいつの間にか忘れてしまっていたんだけどな」
それは、今は思い出せたんですか?と訊こうと思ったが、あまり踏み込むのも悪い気がしてその言葉は飲み込む。が、蒼刃の方が問うてきた。
「置いてきてしまったもの…思い出したいか?」
その言葉に対する答えを、華呼は持っていなかった。
「どうでしょう」
言って、華呼はひっそり笑う。
そんな温かな記憶を所持する資格は、もうないのかもしれない。
冷たく暗い想いだけを抱えている。それを捨て去ることもできないまま。どっちつかずのままで。
「ただ、覚えている記憶っていうのはあまり楽しい幼少時代でないから…。何に対しても冷めきっててたとか…友達がいなかったとか。そういえば、烏兎沼って呼ばれるの、昔から嫌いだったなとか…」
言ってしまってから、我に返る。
より早く、蒼刃が申し訳なさそうに言った。
「烏兎沼って呼ばれるの、嫌いだったのか…ごめん」
故に、華呼の方があわてる。
「あ、すみませんっ。他意はないんですっ。その、この学校来てからは随分平気になりましたし」
たとえば、と華呼は思い浮かべて、胸のうちでつぶやいてみる。
中学のクラスメイトの呼ぶ「烏兎沼さん」と宮之原くんや四季森先輩達が呼ぶ「烏兎沼さん」は違うし、鳥子さんの呼ぶ「華呼さま」とリゼちゃんが呼ぶ「華呼さま」も。全然、その呼び方に込められた気持ちも温度も違う、し。
でも、昔は家や学校でそう呼ばれる度に、その名前でがんじがらめにされている気がした。本当の名前ではないのに、それに変質させられそうになっていくような気がした。
否。恐らくそうやって、自分はもう違うものになってしまった。
―― ハナちゃん
ふいに、記憶の中の誰かが呼んだ。
誰だったっけ…。いや、確かに今も玖珂守くんや須賀くんがそう呼ぶけれど。
もっと昔。…氷辻ちゃんもそう呼んでいた時代があった。でももっと昔。
思い出せないまま、華呼は小さく息をつく。
烏兎沼と呼ばれるのは好きではなかった。
でも。
「そもそも、わたしだって『名前で呼んで欲しい』とか言われないと、名前で呼べませんから、すごく不当な言い分なんですけど、ね」
そうやって、上手く人との距離を縮めることはできない。
何にそんなにおびえているのか。恐れているのか。
彼女は少し笑う。窓ガラスに微かに移る表情が華呼の目の端をかすめた。本人にも自覚のある。どこかに何かを置き忘れて来てしまった、いつも何か足りない笑み。
その不在を、埋めることはできない。
「…ああ、なんだか変なことたくさん喋りすぎました。本来の目的を果たす前に図書館が閉まってしまいますねっ」
言いながら、華呼は眠る前まで読んでいた本を端に除ける。「不思議の国のアリス」。これは帰りに借りていこう。そして、教科書を広げる。と、
「……。さっきの方が、良かったけどな」
ふいに、蒼刃が言った。きょとんと華呼は視線を上げる。
「え」
「笑い方。すごく自然な、いい顔してたよ。…思わずみとれるくらいにな」
小さく微笑んで、彼は華呼を見ている。華呼は驚いたような顔のまま、その視線を受け止めていた。
「…そんなふうに、笑えていましたか。わたし」
「ああ」
「…そ、そうなんだ」
無意識に口元がほころぶ。
決して埋められることのない不在。永遠に足りないなにか。どこかに置き忘れて来てしまった想い。
でも、それなら。いつか、それを補えることが出来るのかもしれない。
そんな笑みが、自分の中にまだ存在しているのなら。
華呼は少し嬉しそうに両の頬を手で押さえた。
「ああ、そうだ」
蒼刃の声に顔を上げる。彼は穏やかな笑みのまま言った。
「俺の事、『名前で呼んでくれないかな?』」
「え」
華呼はきょとんと蒼刃を見る。彼は柔らかに続ける。
「同級生なんだしさ。その代わり、俺も烏兎沼を名前で呼ばせてもらうから」
そう言って、微笑む。
「…駄目、かな?」
「…わたし、男の子を名前で呼んだこと、ありません…」
その表情のまま、つぶやくように華呼は告げる。どんなに思い返しても、昔兄のことをまだ「一樹様」と呼んでいた時代くらいしか、男の子を名前で呼んだことはない。
なんだかそれは、とてもハードルの高いことのように感じた。
でも、と華呼は拳を握った。
「ではっ、これを機にっ、頑張って、なんとかっ…」
「いや、無理はしなくても良いんだけど」
力の入る華呼に蒼刃は苦笑する。
「うとぬ…じゃない、華呼が苗字の方が呼びやすいならそれで構わないよ。俺の方も、呼び捨てが嫌なら考えるし」
「嫌じゃありません。全然。そう言ってもらえて、嬉しいです」
深く考えずに、その言葉が口からこぼれた。それに気づいて、華呼は「うん」とうなづくと、もう一度言った。
「嬉しい、です」
それは、まだいくらか何かが足りない笑みだけれど。
今における、最大限の微笑み。
閉館時間まで授業の様子を教え合い、ノートの取り方やまとめ方を研究する。そして、予習のやり方や家庭学習のペース配分などのやりとりをした。
外に出ると、陽が沈みかけていた。あたりはゆっくり夕闇に沈んでいく。
陽だまりの記憶のように、ゆっくりと温かさは薄れていく。
「今日はありがとうございました」
華呼は蒼刃を見上げ、少し肩を落とした。
「駄目ですね。芹香先輩といい、わたしはいつも人に助けられてばかりなんです」
つい最近あった出来事を思い出してみる。他にも、銀誓館学園に来てからのことを、いくら思い返しても、自分が誰かの力になっていた記憶が彼女には思い当たらない。でも。
「でも、きっとちゃんとお返ししますから」
そう言って、片手をぐっと握り締める。
「霜月くん…じゃなくて、そ、蒼刃くん、もっ。何かあったら、助けを求めてくださいねっ。その…全然頼りになりませんけど…」
まだ、そうやって名前を呼ぶのはぎこちなく。少し照れたように笑う。それに答えるるように蒼刃も微笑んだ。
「ありがとう。その時は頼らせてもらうよ。と、言っても、本当はお返しをしなくちゃいけないのは俺の方…いや」
何か言いかけた蒼刃を華呼は不思議そうに見ている。蒼刃は何事もなかったように続けた。
「お返しをしてもらうようなことは何もしてないんだから、華呼も何か困った事があったら言ってくれ」
「…あるんですけど。でも、うん」
うなずいて。自然にこぼれる笑みも、まだ何かが足りないけれど。
「そういう時は、お願いします、ねっ」
それは、無邪気だった頃に陽だまりに置いてきた記憶。
おそらく、二度とは取り戻せない温もりと、かけがえのない存在。
幻想のように儚い記憶は、もうないも同然だけれど。
もう一度新しい温かさを手に入れることは、きっとできると信じて。
凍てついた華は、いまだ陽だまりの中でも強固なまでに冷たいままだけれど。
いつか、陽射しの下で花開ける日が来ることを想って。
おわり
協力してくれた蒼刃くんと、
ここまで読んでくださった方に、最大の感謝を。
そして、勝手ににお名前を出させてもらった方はすみません。
NGの場合は、こっそり教えてください。
修正します。
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